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2026年07月の日記です

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▼2026年 7月18日 (土)   -- No.[18]

「いまのところ必要ないですけど運転資金を借りました」

ふーん、おかしなものである
商売の内情は分からぬけれど運転資金を借りなければならぬ程の綱渡りお店ではない
どちらかといえば、いや、どちらではなく超人気店である

どうしたら運転資金って貸してもらえるのか?

「雨の日には傘は貸さずに晴れた日に傘をかす」上手い例えである
業績の良いお店にはお金を貸すけど本当に困っている者には手はかさぬのが銀行である
そりゃ彼らも商売である返済の難しいところよりニコニコ笑って金利を搾取する方がよい

弱ったぞ月末前に資金が底をつく
実はやりたくはない手段のカードローンで支払いをしのいぐしかない
カードローンって聞こえはいいけれどサラ金、街金、闇金ウシジマくんである
ウシジマくんほど命を削ってはないか

それでも18%の金利を払って金を借り支払いをしのいでいかねばならぬ
それを分かっていても時に綱渡り、なかにはその綱から足を踏み外す者もいる
自営業って見た目ほど格好のいい商売じゃないぞ考えると頭が痛くなる

そこで今夜もどこかで一杯やるしかしかない



▼2026年 7月17日 (金)   -- No.[17]

叔母と小中の同級生であった自宅も近所

確かに頭脳明晰で頭のいい子だったようだけれど
小学生は「優」「良」「可」3段階評定、ましてや田舎の小学校
おまけに私の母は大した事はなかったが長兄の叔父が頭抜けていたのと
叔母も勉強は出来た方だった

天才は変わり者が多いと言われるけれど
しかし今にして思えば長兄の叔父は現在なら発達障害の括り
ただ当時は発達障害なる言葉はなく田舎の神童・天才の誉高き兄であった
おまけに祖父は当時珍しい大卒だし身近にそんなのばかりいたら

「頭の良い子だったのは確かだけど」

その程度の認識であったようで、そういえば彼の話しを叔母の口から聞いた記憶がない
大沢野町では田舎町の秀才くんのレベルであったようだ
そうそう今日は私の一族の話ではない

ノーベル生物学賞受賞者利根川進氏が11日にご逝去された

実は当店のお客様で10数年前に利根川進の最後の弟子として渡米された方がいた
元気にしているか?確かに利根川の研究所に入るぐらい優秀な男ではあったけれど
なんで老齢の時期に入ったあの頃に利根川進氏が弟子を取ったのかと不思議がられていた

亡くなった息子さんを重ね合わせたのではないか?
そう色々と囁かれていたけれど天才の考える事は我々常人には理解出来ぬ
今になればどうでもいいことではないか

偉大なるノーベル賞受賞者に 合掌


▼2026年 7月16日 (木)   -- No.[16]

「亡くなった父が親元の富山の墓には入りたくないと言って長男である私に亡くなる前に金を握らせ沖縄に墓を立てさせたんです」

平日の水曜日どうせ誰も来ないであろうとぼーっとしていたらお客様
そんないつも油断している飲食店経営者もいかがなものか?
「どちらからお越しですか?」の問いに「沖縄からです」
えっ?沖縄
なんでもお父様が最近亡くなってその関係で富山へお見えになった様である

富山が祖なれど大学出てから沖縄で生活され世帯も持たれた亡きお父様
いくら親御さんが眠っているとはいえ陰気臭い海老江の墓より
青い海を望み年中暖かい沖縄の墓に入りたいと思う気持ちはよく分かる

問題は祖は富山とはいえ沖縄育ち琉球大卒の根っからのうちなんちゅう
そんな長男が何を託された富山に来たのか?
なんでも沖縄の数少ない浄土真宗のお寺にお墓のことを相談したら
死んで沖縄の墓に入るのは問題はない
ただ富山のご両親の眠るお墓にお父様が亡くなった事を報告し
こちらの浄土真宗の坊主に弔ってもらえと沖縄の坊主に言われたようだ

ホンマかいな?そんな教えが浄土真宗にあったか?ウソくさいなあと思ったけれど
まあ浄土真宗も海を越えると色々変化していくのかも?
大切なのは残された者の想いであるからそこに口を挟む筋合いはなし

「マスターところでさあこちらのお寺さんにはいくらぐらい包めばいいのかな?」

そうなのだそこなのだお寺の会計が不明瞭なのは当店の会計以上
母の葬儀の時も私は悩んだ少ないと笑われるんじゃないか?かといって多くは払えない
まあ母の葬儀の時は直接お寺さんに相場を相談出来たのが救いであった

「五万円ぐらいでいいんじゃないですか」

適当な額を言ってみる
別に葬儀をあげてもらっている訳でもなし亡きご両親にこの場合は両祖父母か
お父様が死んだことを報告するだけのその程度なら三万円ぐらいでもいいんじゃないか?
だけどわざわざ沖縄から富山まで来て三万円は微妙なライン

「死んだ親父に恥かかせてはならないと姉から三十万円預かって来てるんですけど」

三十万円!三十万円は多すぎだよ本葬の際に大寺にお包する額だ
どんなにぼったくられても、いや、ぼったくりではないか
最高でも10万円もありゃ充分すぎるであろう

「そんな三十万円も預かっていらっしゃるならその一部分でいいですから当店で使ってくださいよ」

そう冗談めかして言ってみたら本当に当店で使っていって下さった
お父様の遺影をカウンターに置かれさすが沖縄県人、祖は富山だけれど
空のビール瓶とワインのボトル終わったのが何時であったのであろうか?
ただ遺影の中のお父様の笑顔だけは鮮明に覚えている

昨夜は私までベロベロで家に帰った記憶はあるけれどどうやって帰って来たのか?
その記憶が飛んでいる当然代行を使ったのだけれど
家に戻ってなんだか分からぬけれど「オマエにも小遣いやるわ」
そう言って妻のバックに一万円札を詰め込んだ記憶が薄っすらとある

さて本日どこのお寺か存じ上げぬけれど幾らお包みになったのであろうか?


▼2026年 7月15日 (水)   -- No.[15]

「前科3犯893番懲役太郎です」ああ、こういう表現方法もあるんだ

多分コロナ禍の頃であろう何年前かは忘れた
初めてこのVTubeを見た時はある意味感激であった
YouTubeで大大人気の『懲役太郎』チャンネルである
元ヤクザの組員がバーチャル刑務所なる舞台から語る
こういう方法のYouTubeがあることを知る

こういうのやってみたい!

架空のBARを舞台にお酒や世の中を語るチャンネルを自分でもやりたいと思ったのだ
しかし当時の私にはYouTubeにどうやって参入できるかの知識がまったくゼロ
いやはや当時どころか兎に角ももうスマホだPCだの知識に疎いアナログな私である
最近やっとこさコピペという技を覚えて喜んで使っているぐらいポンコツなレベルである

ところがそこに天から声?天から誘い?
偶然に当店に『アイレンの奮闘記』『ヴィディスターズ収穫祭』なる
ワインに関するVTubeチャンネルを運営しているお客様が来店

これぞまさに天命

おせーて!教えて!どうすればVチューバーになれるの?
無知文盲なる私がどうすればVチューバーになれるの?
金なら稼ぐPCが必要と言われれば新しく購入するから他にどんな機材が必要なの?
教えてちょーだいと合いなった訳である

今決まっていることはキャラクターに合わせて私がワインやお酒の話をするというもの
話題の大半はワインでいく、実はキャラクターも決まっているけどこれはまだまだ秘密
あと問題はバックで流れるBGMこれが結構なる問題なのだ
音楽を流せば当然著作権が発生する権利関係というのは色々とややこしいのである

「それが嫌なら別にBGMなんか流すなよ」

そういう声もある
しかしBGMが流れるイコールそのチャンネルが連想されるというのは大切なのだ
なにより私の語りだけで場面が持つわけがない
そこで考えた結論は

それなら誰かに作曲してもらって権利ごと買っちゃえ!

ピアノの弾ける音楽関係の方に頼み込んで作曲してもらえばいいじゃない
別に長編な作品でなくともよいのだ30秒ぐらいのフレーズでいい
それをPCで組み込みリフレインしてBGMにして流していく

その30秒程度の作品を2曲ばかり作曲してもらい
いや2曲は贅沢だ1曲でいいかも、どうなるか分からんYouTubeである私の構想である
ただ私の中ではわがままなるイメージがあるBGMはエリック・サティー風でいきたい
本当にわがままなるイメージでごめんなさいではあるけれど

誰か作曲してくれぬか?

ただしこのプランはまだまだ私の頭の中でグルグル回っている状態であり
本当に出来るのかどうかは分からない、しかし何でも声に出さねば形にならぬ
私の様な馬鹿にはピアノは弾けぬPCはいじれぬ
しかし世の中にはすごい才能はゴロゴロと存在する使える才能があれば何でも使う
これがまたホットトットクラブの客層は多方面に渡り才能の宝庫なのだ
まっ、どうなるか?
あっ、私の師匠である『アイレンの奮闘記』である

『アイレンの奮闘記』YouTubeで見かけたらチャンネル登録を是非よろしくお願いします


▼2026年 7月14日 (火)   -- No.[14]

「転勤決まった!」

息せき切って店に飛び込んで来ての第一声がそれ、キャリア形成にも最高なルート
なんでも大抜擢の大出世の様である
やはりどんな会社でも東京及びその近郊に優秀なる人材を集める

まっ、嫌になったりダメになったら帰ってくればいい


▼2026年 7月13日 (月)   -- No.[13]

「履歴書はURLをお送りしますのでそちらにご記入くだい」

情けないものであるなぜに60過ぎてもアルバイトしなければならぬのか?
あの頃思い描いた60歳を過ぎた私は白のワイシャツに灰色のジャケットを羽織
爺さんがよく締めていた紐状のループタイを首にそして安っぽい運動靴を履き
インドネシアのボロヴドゥール遺跡を歩いている姿を想像していた
そりゃ今でもインドネシアだろうがカンボジアでも歩けますよ問題はそこではない

60過ぎたら優雅な人生があるんだと思っていた事だ!

それがなんだまったくもう
毎月毎月ピーピー言って本業だけでは食えずにアルバイトをしなければならぬ
コロナ禍の影響はいまだに消えず
しかし今本業を辞めたところで繰り上げ支給の年金暮らしに明るい明日はない
あるのは暗い老後、いやいや今どき私の年齢じゃ老後とも言えず
 
責任者出てこい!

人生幸朗・生恵幸子のぼやき漫才状態である
さて問題は私は幾つになったら悠々自適なる人生が送れるんだまったく
ひじょうにきびしー!次なるは財津一郎
しかし昭和の頃に思い描いていた未来はこんなものか?

なんでそうなるの?怒るでホンマに!


▼2026年 7月12日 (日)   -- No.[12]

「以前は23区で一番自転車が多かったんですけど近年それが世田谷区に抜かれて」

卒業して何十年ぶり?先日の中国語ペラペラの後輩の繋がりで懐かしい声を電話で聞く
「懐かしさの一歩手前で♩込み上がる苦い思い出に言葉が見つからないわ♩」
ふと竹内まりやの『駅』が脳裏に流れる

別に彼女とは付き合っていたわけでもない
しかしおかしなものでむかし懐かしい女性と急に喋ると
「アナタがいなくてもこうして元気で暮らしていた事を♩さりげなく伝えたかったの♩」
男性の学友以上になぜか元気に声を出し喋る私がいる

彼女にとって私は単なる古い学友、本当にそれ以上もそれ以下も決して何もなかった
しかし私の中であの日のモヤモヤしたやるせない想いが急に甦る
何もなかったからいいのかもなあ?

現に何かあった女性達は何十年経とうとも私と会いたがらない
もしかして当時の私は余程ひどい男だったのかも?
さもなくば彼女達が現在は充分に幸せ過ぎるのかもしれないという事にしておく

「お元気ですか?」

「生きてりゃ色々大変な事が起きてコロナ禍以降はしょぼくれてます」

そして冒頭の様な差し障りのない話題から次回皆んなで会う約束を
ただ旧い仲間の「今度会おうよ」の約束で会えたためしはない
しかしなんといってもいいのやら社交辞令?修飾語?の様に交わすのだ

でも正直会える日が楽しみである





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